共同で追求する反戦・反核の針路

85ヒロシマ集会から

 

 八六年八・五反戦反核広島集会は昨年にひきつづいて八月五日、広島市東区民文化セソターで全国から三〇〇名が参加してひらかれた。

 まず広島大学文学部の好村富士彦教授が開会の挨拶をのべた。同氏は、昨年の十二・八(太平洋戦争開戦)以来、今年の二・一}(紀元節)、四・二九(天皇在位六〇年)、六・一五(チェルノブイリ)とカンパニアをつづけて八・五を準備してきた広島実行委員会の経過を報告。その提案にもとついて吉田正裕(原発はごめんだヒロシマ市民の会)、湯浅一郎(トマホークの配備を許すな/呉市民の会)、中川浩史郎(ストップ・ザ・戦争への道ひろしま講座)の三氏を議長団に選出した。

 最初に基本提起者の一人として桝谷逞氏(電産中国地本元副委員長)は「反原発運動からの提起」と題し、チェルノブイリの原発事故が反核運動にもたらした重大な衝撃と影響についてのべた。同氏は巨大技術に不可避の事故と、一旦おきた事故の影響がいまや一国のワクを越えた地球的規模での被曝をもたらしたことを指摘し、もはや原子力は科学技術ではないと断言して全原発の即時停止を要求した。また桝谷氏はヒロシマの被曝とチェルノブイリ被曝の同質性を強調し、原爆のヒロシマが反原発運動を闘うことの特殊に重要な意義をのべるとともに、豊北、上関など中国地方反原発運動の共同戦線による原発新規設置を阻止する勝利的な展望を説いて、反核運動と反原発運動の共同闘争を訴えた。

 つづいて梅林広道氏(トマホークの配備を許すな!全国運動)は「非核の実質化」をめざし、日本の現状から出発して非核の空間を拡大する闘いの追求は日本の現状そのものの変革の有効な手がかりになると確信をもって訴えた。同氏は、そのため`に必要なことはニュージーランドの教訓から学び、"あきらめ"からの脱却を闘いとることを強調。そして核艦船拒否の世界的運動潮流の重要な一環としての非核太平洋運動の新たな局面のもとで、住民の圧力による非核自治体運動の自立的な活動の重要性を主張した。梅林氏はそのため、日本政府のアキレス腱である米核船寄港にょる非核三原則の空洞化を衝く「非核コード・ヒロシマ」(核有無の判定基準)を提案した。

 基本提起の最後に松江澄氏(広島原水禁常任理事)は「ヒロシマからの提起」を報告し、明年の八・五に向け新ヒロシマ宣言をめざして運動を進めようと呼びかけた。

 このあと特別参加者として二人の外国人活動家が登場。オーストラリアの反核活動家ジョー・ヘイターさんは太平洋の民衆による海の非核連帯を訴えた。

 つづいての討論のなかで、沖縄からかけつけた花城自動車労組委員長の沖縄=ヒロシマをめざす運動の報告と、韓青同広島県本部尹副委員長の米帝国主義への怒りと日韓民衆連帯のアピールは参加者から大きな共感の拍手を受けた。また「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の木原省治氏は、中電の圧力をはね返し今春の町会選挙で一人だった反対派を七人に拡大した上関の闘いを報告した。また関西の全逓組合員は、七、八人の職場の仲間とともに、ともかく行動しようと大阪から反核サイクリングで広島へ来たと報告し、激励と連帯の大拍手を受けた。

 終りに八月二十四日に迫った米核戦艦二叶一ージャージーの佐世保寄港に抗議し、ともに闘う緊急決議を拍手で採択、宗像基氏(ストップ・ザ・戦争への道!ひろしま講座〉の挨拶で閉会した。(八・九松江記)

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